東京地方裁判所 昭和21年(ワ)1267号 判決 1948年12月08日
東京都江東区深川白河町一丁目八番地
原告
林はな
右訴訟代理人弁護士
松本乃武雄
被告
国
右代表者
法務総裁 殖田俊吉
右指定代理人
岡本元夫
同
照山鷹丸
同
本橋孝雄
右当事者間の昭和二一年(ワ)第一二六七号不当利得金返還請求事件につき当裁判所は左の通り判決する。
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
原告訴訟代理人は被告は原告に対し金五千円及び之に対する昭和二十一年一月十四日以降右完済に至るまで年五分の金員を支拂うべし、訴訟費用は被告の負担とするとの判決を求め、その請求原因として、原告先代吾六は昭和四年中東京都江東区深川白河町(当時東京市深川区白河町)一丁目八番地地上に木造瓦「トタン」交葺二階家一棟建坪十坪一合二勺五才二階八坪三合七勺五才を建築するに当りその資金を有限責任深川区商工信用組合より借り受け、その担保として完成後の右建物に抵当権を設定したが、右債務の弁済に窮した結果、これに充てるため、昭和十三年七月七日訴外鈴木ふみより金二千三百七十七円八十一銭を利息金百円につき一日金一銭七厘毎月末日支拂元本は同年七月より金十五円宛(但し昭和十六年四月よりは金二十五円宛)毎月末日限り分割弁済する約定で借り受け、之を担保する目的を以て右建物を同訴外人に売り渡し即日所有権移転登記を了した。しかして原告先代吾六はその後滞りなく右月賦金を支拂い、昭和二十年二月末日を以て右債務を完済したので右建物の所有権は完全に同人に復帰したが、当時鈴木ふみは強制疎開のため移転の準備に忙殺されていたので、登記は原告先代の名義に改めるに至らず、鈴木名義となつたままであつた。
之よりさき、原告先代は昭和二十年二月中頃右建物及び建物内にあつた同人所有の家財道具一式を目的として訴外千代田火災海上保険株式会社と保険金額五千円の普通ならびに戦争火災保険契約を締結するに当り、右建物の登記簿上の所有名義が鈴木ふみであつたため、同人名義を以て契約し保険料も自ら支拂つたところ、同年三月十日空襲によつて右建物は焼失したので保険金を受領することになつたが、契約者が右鈴木ふみが名義であつたので、同会社は右保険金の決済として預主を鈴木ふみとして帝国銀行東京支店に対し保第二〇〇〇号金五千円の特殊預金を設定した。
以上の次第で右特殊預金の実質上の権利者は原告先代吾六であり、原告は昭和二十一年二月十日同人の死亡によりその家督相続をなし、同人の地位を承継したものである。
しかるに昭和二十一年十月三十日戦時補償特別措置法の施行となり、右特殊預金の申告をすることになつたが、原告からは申告をする方法がなく又右鈴木ふみには別に金五万円以上の特殊預金があるため,前記特殊預金は全額を戦時補償特別税として徴收せられる関係にあるので同人からも申告せず、法定の申告期限たる昭和二十一年十二月十四日を経過し、ここに右金五千円は被告より戦時補償特別税として徴收された。しかし前に述べた通り右特殊預金の実質上の権利者は原告に外ならないから、右鈴木ふみに対する戦時補償特別税としてこれを徴收したのは明らかに違法であつて、被告は法律上の原因なくして原告の財産により利益を受け、これがために原告に損失を及ぼしたものというべきであるから、被告に対し右不当利得額金五千円及び之に対する本件訴状送達の日の翌日たる昭和二十一年一月十四日以降右完済迄民法の定める年五分の損害金の支払を求めるため本訴に及んだ次第であると述べ証拠として甲第一ないし第六号証を提出し証人三木富五郎鈴木ふみの各証言及び原告本人訊問の結果を援用した。
被告指定代理人は原告の請求を棄却するとの判決を求め、答弁として、原告先代吾六が昭和十三年七月七日原告主張の建物を鈴木ふみに売渡し所有権移転登記を了したこと、昭和二十年二月中頃鈴木ふみと千代田火災海上保険株式会社との間に右建物及び建物内の家財道具を目的として保険金額五千円の普通ならびに戦争火災保険契約の締結せられたこと、昭和二十年三日十日右建物が空襲により焼失し右会社において右保険金の決済として預主を鈴木ふみとして帝国銀行東京支店に対し原告主張のとおり金五千円の特殊預金の設定をしたこと、右特殊預金について戦時補償特別措置法第十四條の定める申告書の提出がなかつたこと、法定の申告期限の経過により帝国銀行東京支店が右特殊預金について払戻をなしこれにより鈴木ふみの取得すべき金五千円をもつて戦時補償特別税を徴收しこれを政府に納付したこと及び原告が先代吾六の死亡により昭和二十一年二月十日その家督相続をしたことはいずれもこれを認めるが原告先代吾六が深川区商工信用組合に対する債務のため右建物に抵当権を設定したこと、同人が昭和十三年七月七日鈴木ふみより原告主張の金員をその主張の約定で借受けその担保として右建物の所有権を同人に譲渡したこと、及び前示保険契約の保険料の支払は原告先代がしたものであることは何れもこれを知らないその余の原告主張の事実は全部これを否認する。尚仮に原告主張のような事実関係であるとしても左の諸理由により原告の主張は失当である。
(一) 戦時補償特別措置法第二條によれば戦時補償特別税は同法施行前に戦時補償請求権について決済を受けたものに課せられるのであつて、特殊預金にあつては納税義務者は預主としてその設定を受けた者である。本件において特殊預金の設定を受けた者は鈴木ふみであつて原告先代ではないから納税義務者は正しく鈴木ふみに外ならない。実質上の権利が原告先代にあつたかどうかは原告先代と鈴木との内部関係に過ぎないのであつてこれにより納税義務者の変更を来たすものではない。従つて被告は納税義務者たる鈴木より徴税したものであつてしかる限りは不当に利得したことにはならない。
(二) 原告の主張によれば本件保険契約は原告先代所有の建物及び家財道具一式を目的として鈴木が契約者として締結したことに帰着するから原告先代と鈴木との間には委任関係があつたものと見るを至当とし原告先代は鈴木の締結した保険契約によつてその利益を享受する関係にあるものというべきである。しかるに右保険契約において保険金受取人として表示されていたのは鈴木に相違ないから鈴木は保険金請求権の準占有者であり、右保険会社が鈴木に対してなした保険金の決済は債権の準占有者に対する弁済として有効であつて、この場合に於ても特殊預金の設定を受けた者は鈴木であつて原告先代ではない。従つて戦時補償特別税の納付義務者は鈴木であつて適法に同人から徴税した被告が不当に利得するいわれがない。若し鈴木に対する決済が無効だとすれば原告先代、従つて、原告は右保険会社に対し保険金請求権を有するから原告の損害なるものは存在せず、被告が原告に対し責任を負う理由はない。
(三) 臨時資金調整法及び企業整備資金措置法の規定による特殊預金その他の特殊決済は法律上の更改たる性質を有する。もし原告主張のように本件保険金請求権が原告先代にあつたとすれば原告先代は鈴木との間の従来の特殊関係からいつて、鈴木との間に十分の諒解があつて鈴木名義で特殊預金の設定を受けたものといわなければならないから、本件の特殊預金の設定による決済は、債権者及び債務の内容を改めた法定更改であつて鈴木は特殊預金の債権者となつたものと解すべきである。この特殊預金の名義を後に原告先代の名義に改めるか又は原告先代が他の方法によつて求償するかは、原告先代と鈴木との内部関係であつてこの内部関係は特殊預金の設定を受けたもの即ち納税義務者を定めるについて無関係である。従つて本件徴税が不当利得の問題を生ずる余地は全くない。
(四) 本件特殊預金については,預主の名義訂正をする等の手続を経た上原告から戦時補償特別措置法の規定による申告書の提出をすることは必ずしも法律上不能ではないのにも拘らず、原告はその措置を採らなかつた。従つて同法第十九條第二項の規定によつて一般申告期限の翌日に特殊預金の預入先たる株式会社帝国銀行が同法所定の金融機関として期限前の拂戻をなし、これにより、鈴木の取得すべき金銭をもつて戦時補償特別税に充て政府に納付したのである。而してこの一連の手続は国が金融機関を補助機関として鈴木に課税処分をしたもので、税務官庁が行政処分をしたものと観念しなければならないのであつて、この行政処分は適法であるから、本件徴税により被告の取得した金銭的利益は法律上の原因を欠くものということはできない。故に不当利得を以て論ずべき筋合ではない。
(五) 仮に以上の主張にしてすべて理由がなく不当利得が成立するとしても、原告の損失は特殊預金五千円であつて、その経済的価値において現金五千円に及ばないことは経済常識の上から明りようである。従つて原告が現金五千円の返還を請求することは過当である。よつて原告の本訴請求は棄却さるべきものであると述べ甲第一、二号証第四、五号証の各成立を認め第三及び第六号証はいずれも不知と述べた。
理由
原告の本訴請求原因の要旨は、原告先代吾六は昭和四年中訴外深川区商工信用組合から借用した東京都江東区深川白河町(当時深川区白河町)一丁目八番地所在の木造瓦トタン交葺二階建一棟建坪十坪一合二勺五才外二階八坪三合七勺五才の建物の建築資金を弁済するために、昭和十三年七月七日右建物を売渡担保として訴外鈴木ふみより金二千三百七十七円八十一銭を借り受け、同年同月末より昭和二十年二月末日迄月賦によつて之を完済して、右建物の所有権は完全に原告先代吾六に復帰したがその登記名義を変更しない中に、同年三月十日の空襲によつて右建物はり災焼失し、原告先代吾六が之よりさき鈴木ふみ名義をもつて訴外千代田火災海上保険株式会社との間に締結していた保険金額五千円の普通ならびに戦争保険契約に基く保険金の決済として帝国銀行東京支店に対し預主を鈴木ふみとする金五千円の特殊預金が設定せられた。従つて右特殊預金は実質上原告先代吾六の権利に属するに拘らず、昭和二十一年十月三十日戦時補償特別措置法の施行を見るや、被告は右特殊預金の帰属の認定を誤つて、鈴木ふみの権利であるとして同法の規定により右特殊預金の全額を戦時補償特別税として賦課徴収したのであつて、被告は明らかに法律上の原因なくして右金額の利益を受けたものであるから、先代吾六の家督相続人たる原告において右不当利得額の返還を求めるというにある。
おもうに租税は現実に収入のあるところに賦課されるべきであるから、権利の形式的名義人の如何に拘らず、当該の権利の実質的に帰属する者に対して賦課せられるべきものであるといわななければならない。
従つて本件に於て原告の主張するような事実関係であるとすれば、被告が本件特殊預金は鈴木ふみの権利に属するものと認めて課税処分を行つたことは違法たるを免れないけれども、之に対してはよろしく原告に於て適法の期間内に権限ある官庁に対して右行政処分の取消を求めるべきであつたのであつて、その取消のない限り、法律上の原因があることになるから、被告に於て徴収した金額を不当利得を以て論ずることはできない。
しからば原告の本訴請求は既にこの点において失当であるから、じ余の判断をなすまでもなく之を棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九條を適用して主文の通り判決する。
(裁判長裁判官 広瀬通 裁判官 仁分百合人 裁判官 大橋進)